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2013年10月15日火曜日

井戸川元町長インタビュー:賠償支援機構法の目的の中に、「原子力発電所の安定運転を資することを目的とする」という文言

 
こちらのインタビューには健康被害についてはあまり触れていないので、健康被害について知りたい方は、こちらのまとめをご覧ください。http://togetter.com/li/256190 (非常に大事。鼻血の他に脱毛なども。また、事故後、綿のような降下物も目撃したそうです。。双葉町では一時期、1590μ/hを記録しています。http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012092202100005.html

 
 
井戸川町長インタビュー 
 
By 堀切さとみ 

Q:事故直後の状況を教えてください

 

A:車に乗っていて地震にあった。乗って数秒後だった。経験したことない地震。地球が割れてしまうのではないかという恐怖の中、地震がおさまるのを待っていた。

その次にすぐ、原発は大丈夫かと思った。


14号は古く、とりわけ1号炉と2号炉は古い。配管の鉄の肉厚は薄くなっている。コンクリの中に入っている配管は変えられない。


キャビテーションと言って、鉄の薄くなっているところがある。地震でやられて配管が裂けて水がなくなってしまう。

 
メルトダウンが起きたが、地震のさなかにそうなると考えていた。必ず原子炉は壊れると思っていた。

壊れないでくれと祈りながら思っていた。だけど壊れるなと思った。

壊れたと思う。

2号炉の建設にかかわっていたことがある。鉄板の溶接前の仕事にかかわっていた。厚い鉄板を合わせるのは大変な仕事だった。自分でやったところで、あの部分大丈夫かと思うところはある。下手すると壊れているのではないかという思いがある。

そういうベースがあるものだから。国にはないですよね。はたして東電はわかっているのか?そういう部分がいっぱいあると思う。

地震は許容限界を超えているのかなと思っていた。大変なことになったら居られない。

 
Q埼玉に来ようと思ったのはいつ?

 
A三号炉が爆発したときに、この辺でも住めないと思った。

また、川俣町さんの対応が大変だった。同じ数の人口に匹敵する人々、飯館、南相馬、浪江、など様々な避難民を受け入れていた。

皆、総出でおにぎり握っていて、どこかに移動しなければとは思っていた。3号炉が爆発した時に、もう福島県はだめだと思った。川俣町には来ないでくれと祈っていたが。

Q:埼玉に行ったことで、なぜ福島から離れたかという批判が強いが、予想していたか?

 Aバッシング受けようが、双葉町を守りたいと思えば、構わないじゃないか?やがて歴史が証明してくれる。5年10年後にどういう結果が出てきても。

 わからない人々が県内で世論をあおっている。県外の人から見れば、福島の人が理解できないという人が圧倒的。認識の差が県内にいるとわからない。

私は初めから情報が隠ぺいされる、と危機を感じていた。私が思った通り、福島県はされている。誰がコントロールしているのか、ひどいもんです。

特に、福島県立医大は罪である。まったく何でもないと言いきっているが、その立証を何かの機会に求めたい。

どこかで担保を取っておかないと。
大変な医大であると評価されると思う。

被曝検査を積極的にしないこと自体が犯罪行為だ。

 
Q:一番憤ったのは?

A:事故起こした瞬間です。私は常に聞いていた。

ここはどうか?機械の強度は?劣化は?人材は?技術の伝達は?と東電に聞いていた。危ういから聞いていた。


何も心配しないで、止める、閉じ込める、冷やすと言っていた。

事故が起きた時に、原子力保安院で大丈夫と言っていた人間は、だれもあいさつに来ない。

 
あれほど言っていた人間が逃げている。後ろめたいのだろう。当然ですよ。責任をとってもらわないと。当時から事故起こしていたようなものだ。あれだけ安全と言っていたのに。


1年たって、我々が加害者のごとくこのような生活を強いられている。加害者が被害者然として今いる。とんでもない状況に腹が立つ。

 
県の偉い人がここにくるが、そのまま帰っていく。一度も県が何をできるか聞かれたことはない。一方的に自分たちの説明をして帰っていく。避難状況の確認もせずに、どうしてほしいかも聞かれずに。これもおかしい。

Q:他の8町村の組長さんに比べると勉強されている。事故が起こる前からか?

A:学校出る時から、同級生は東電に就職していたが、当時から原発について懐疑的だった。職場をそこで求めず東京に出ていき、水道屋の仕事を学んだ。

帰ってからも主たる職場として東電を選んだことはない。東電の仕事をやってもA区域のみ、BC区域には入らなかった。

Q絶対安全でなければ困るとおっしゃっていましたが、そうではない可能性もあると思っていた。その中で町長に引き受けたというのは?井戸川さんの場合は、懐疑的でリスクを負う可能性もあると思っていたはずだが?

A他力本願の町になっていた。すべて誰かが悪い、なにかあると東電に寄付を求める街になってきた。78号炉ができれば、こんな借金一瞬にして吹っ飛ぶという前の町長の姿勢。

町は破たんの方向に向いていた。双葉町をなくすわけにはいかない。倒産させられないと思った。

経営の仕方が乱脈ぶりで目が余るもの。前任者が止める時に、後継者に任せられないと、流れを変えないと、やるしかないと思い、引き受けた。町民の人々が支持してくれてやることになった。

やってみて大変だった。休まる日はなかった。H19年の今頃、就任2年目で、予算が組めず激ヤセした。ところが前任者がお金がないことを言うなと職員に口止めしていた。ない中で予算を組むのは大変だった。

こんな風に座っていられなかった。おしりに肉がなくなって。痩せる思いとはまさにこのこと。

なんとかやりきるために、78号炉の初期投資金をもらうことにした。倒産させるよりはもらうことに。県の職員から「大人の判断ですね」と言われた。「ありがとうございます、判断させてもらいます」と。

5年後になるとゼロになる。もったいないから4年分もらうことになり、19年の秋に4年分の交付金が入り、町は救われた。

Q子供のころはどんな少年だった?

A私は中学校二年の時にカナダに移住したかった。カナダはいい国だと思った。何がいいかというと、カナダはいろいろな制度ができあがっていない、これからの国に思えた。

そのちょっとあと、跡取りの話が出て、双葉町、郡山という話が出て、高校を出ると家業の跡取りを考えざるを得ないことに。

大学で親に仕送りさせて忍びなかった。

東京に出て仕事に就いた。人間関係が面白くなった。がんばると周りの人が評価して、上にあげてくれる。努力しないとどこまでも落ちる。人のせいにしていたらおちる。だから自分の努力の中で頑張るには、東京は良い場所。

跡取りとしてやれるだろうと帰ってやれるつもりだった。

だが町がだめになっていくところを見てがっかりした。

全国の町民が「あれほど交付金をもらいながら、なんなのだ、ふざけるな」と言われる。

そういうこと言われること自体も、中身をもっと知ってもらえれば良いのだが。

他の三町村は年間収入たくさんもらっていたが、双葉町は少ない。その中でいろいろやっていたので借金増えた。

知らない人は叱るが、反論もしてこなかったが。時間もないし、だれに反論すべきかもわからなかった。

苦労してやってきた。あてのない海図のない航海をしている。どこまで苦労しなければならないのか、残念でならない。町民の皆さんも同じ思い。誰にぶつけていいかわからない。したがって町長にぶつけるしかない。

Q:日本で最初のこういう事故だから教訓を残さねばならないと言っているが。

A:日本は非常に危険な方向に向かっている。第一原発の廃棄物だけでも国は処理しきれるのか?お金もかかる。それが全国にいっぱいある。最低、自分のところで処分は引き受けなければなる。どこも引き受けないから。

今交付金をもらってうれしくとも、将来大変な負担になる。

さらにエコがもっと進んでくると、原発は廃墟になる。しかも危険物の置き場になる。全国にいっぱいある。この問題考えた時、私たちの子供たちが負担できるか?生活力あるか?

非正規労働者がたくさんいて、優秀な人材が海外に出て言っている。

ますます日本はおかしくなる。

また隣国で原発ができ、事故が起きたら、放射能はこちらに飛んでくる。東北だけの問題ではない。

韓国もこの間深刻な事故があったが隠蔽されていた。

敦賀などでもなにがあるかわからない。

 々が原発を耐えられるかと試算をしなければならない。

 私は反原発ではない。ただ日本を滅ぼしたくない

 では、次のステージで若い人たちにどういうビジネス環境をつくっていくべきか。

やり方は、あると思う。

 
Q:福島に戻っている人もいます。そういう人のなかには、「今まで東電で働いてきた。今までも放射能浴びてきた。初めてみんな放射能と言っているが、自分たちは怖くない。だから戻る」という人がいる。事故が起こらなくとも原発の労働者の方は仕事してきたと思うが、どう考えますか?

A原発を作って経営をしている人は東京にいる。ロボットのように忠実な働き手としてやってきたのは、地元。原発という職場に最初から入って、その作業を見ていない人はいっぱいいる。40年の実績を打ち消しているというのは。

違いは、高度な管理環境の中で被曝をしていた。

 
今は居住区に汚染。無差別爆弾と同じ。人命を巻き込んだ爆弾は国際的に非難される。

今回は一般の住民を巻き込んだ無差別爆弾を浴びさせられた状態。全く違う。違いは明確にしないと子供たちがかわいそうです。

汚されたのです。さらに戻って放射能の除去作業。わけのわからないと私は思っているが、あれに携わっているのはやはり地元。

 元請けさんは東京にいて、現場で働くのは地元民。

悲しいかな。それに入らざるを得ない環境にある。帰れ帰れと帰らされ。職場がないから。最後は手を出す。


除染にしても原発収束作業にしても、今までは外部の人がいたが、だんだんと被害が出たり、知識が出てきたら、働き手がいなくなる。戻って言った人は職場がないから、否応なく、被曝を重ねるはず。

そうしたらその先どうなるか。その先その人はそれで人生が終わってしまう。

さにロボット。真綿に包まれて被害者にされてしまう。

Q:本当にひどいですよね。巷では中間貯蔵施設を造らなければならないのだから、と。国だけでなく、世間も。

A:世論形成に成功している。除染が進まなくなりました。だとすると中間貯蔵施設に方向づけした。これでうまくいくと。次から次へと。また次のことを考えるだろう。

その第一線に双葉郡民がされている。悲しい民族だ。


Q本当に許せないですね。

A:巧妙に仕組まれていますね。福島県民でも、中通の人は気の毒だ。毎日被曝している。


Q飯館、郡山、

A福島も含めて。あの人たちは勉強すべきだ。電離放射線障害防止規則は、働く人のための規則だ。住環境には日本には法律がない。残念ながら。だから抵触していない。

訴えてもだめ。自分から逃げるしかない。誰かに訴えてもだめなのです。

非常に恐ろしい国だ。

そういうことも踏まえて、住民をここに連れてきた。

歴史がやがて評価してくれる。今私は泥だらけになってもよいと思っている。


Q:最初はわけわからずついて来ようという人々だったが、時間がたつにつれて遠くに逃げてきてよかったと言うひとがおおいし。

A:町を守るというのは街を構成する住民を守らなければならない。できるだけ双葉町民は外に出したいと思っている。

日本の常識が非常識ととってかわろうとしている。

まず事故の原因が追究されていない。

無主物という事でまかり通っている。

 
賠償請求は加害者の様式、要求に沿わないと支払われない。

賠償支援機構法のもとに、支援機構がお金を出し続けているが、金はどこにいっているのか。我々のところにはこない

賠償支援機構法の目的の中に、「原子力発電所の安定運転を資することを目的とする」という文言が入っている。

そうすると国民の皆さんの税金は、一企業の過失事故に対して、とるべき安全対策を取らなかったことに対して是認することになる。

今度の投資顧問会社は、私は責任ありませんという非常識がまかり通っている。

それに手を貸している集団がある。これに国民は気づかないとならない。

恐ろしいことが起きている。


今の話は一町長の私の責任範囲を超えている。

しかし責任を取らねばならない人々はいる。

責任を取らねばならない国が支援をすると言っているが、支援をするというのは、私はこの言葉を真っ向から否定したい。

「支援する」という言葉は、民間の人々が言う言葉であり、国は責任を取らねばならない。

これ以外の言葉でないのです。これに国民はこれに気づかない。


もっともっと国民に気づいてほしい。国民にもっと気づいてもらうために、私は常にいろいろな角度から物を申し上げている。

日本国家が正しい歴史を残すために。
 


 
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